ナカムラマコトの世界 / Мир Макото Накамуры

漆工芸家「中村真」の作品と展示情報を主に、かつて暮らした中央アジアの風景と工芸にも触れていきます。

2018年、年の瀬

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 今年の年末も昨年に引き続きいて開催された京王百貨店での展覧会は、つつがなく27日に閉会しました。
ご多用中にも関わらず、足をお運び下さった皆様に御礼申し上げます。
 前回、南青山のモルゲンロートさんの展示は10月末までの開催でしたので今回の開催までの慌ただしさにかまけたことや、主催からの要請なども重なり、広く周知を行えませんでした。もし展覧会の情報が行き渡らずお見逃しになった方がおられましたら、心よりお詫び申し上げます。
 それでも今回も多くの方々にご覧くださり心より嬉しく思っております。重ねて御礼申し上げます。

 年明け早々は調査でウズベキスタンへ。こうなると渡航準備が何より優先ですので、大掃除は年明けになりそうです。なんとも締まらぬ年末です。

 我がサイトにお越し下さった皆様、本年もお付き合いいただきどうもありがとうございました。2018年もどうぞ宜しくお願いします。























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チグリス・ユーフラテス下流域のもてなし

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Mozif①

インターネットで得た情報の備忘録。これは体験情報ではありません。
https://www.travestyle.com/2016/02/13/coffee-tea-drinking-rituals-in-an-iranian-arabic-mozif-khuzestan/

チグリス・ユーフラテスの下流の湿地にある葦作りの空間(Mozifと呼ばれる茶屋のようなものか?)で行われる、どの客人にも平等に歓待するコーヒーセレモニーは、一つの特別な器を使った回し飲みで一期一会の連帯感を伴うものとのこと。

Mozif②

Mozif③

Mozif④

Mozif⑤

濃くて苦いコーヒーの後に口直しの紅茶を出す配慮は、まるで濃茶から薄茶に移る日本の茶席と同じ。日本から遠い西アジアの地で茶道と重なる文化があるようです。
日本の茶道と違い、お道具の拝見はさすがに無いようですが、土瓶のように使っているティーポットも興味深い。
ポットに嵌め込まれた金属枠は金継ぎのようでもあるが、なぜそのように加工するのか、生活にまつわる習慣や思想、工芸素材と使用の実際から広く推測、考察するのも乙なことだと思います。



























庭の宇宙

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アシナガバチ



 瓢箪棚のある庭に今年も居候がやってきた。そのアシナガバチのお話。

 出窓のアルミサッシの、ネジ取り付け用の穴は、劣化したプラスチックの栓で塞がれていたのだけれど、それを器用にどけて隙間に営巣したのは去年。今年は先手を打ってエポキシ接着剤と新品の栓で穴を強固に塞いだのです。

 ですが今年もアシナガバチはやってきました。去年の穴がどうやらお気に入りの様子でしばらく周囲をうろついていましたが、仕方ないから下の庇に女王蜂が営巣のきっかけを作りはじめたので、「今年はダメです!」とお断りを続けていました。それでも日を変え「そこを何とか!」と10回程繰り返し頑張ってくるので、ついに根負けしたのが5月の末。今年は庇を貸すことにしました。

 さっそく女王蜂が自ら朽ち木を噛み砕いて固めた、紙のような材質感の、3部屋の物件に小さな卵を産み付け、それが小さな蜂の子になりました。なんとも勾玉みたいです。
 女王蜂は時折どこかにいなくなっては薄緑の団子を運び込み、ぴこぴこ動く蜂の子に噛んでさらに柔らかくして与えています。そんな給餌の合間に部屋の増築に次ぐ増築を重ね働く姿はヨイトマケの歌を実践しているようで、感動的ですらあります。
 やがて、若い働き蜂になったかつての蜂の子達は女王蜂の仕事を手伝い始め、せっせと薄緑の団子を運び込むようになりました。賢く育った偉い子です。この頃になるともう蜂の数が多くて誰が女王なのかよくわからなくなりました。さては産卵と増築に専念しているのだろう。

 我が家の庭は、瓢箪棚と菜園をこしらえているのですが、どちらも葉がのびのびと繁茂しました。しかし、働き蜂で結成された青虫パトロール隊のおかげであぶら虫消毒のほかに殺虫剤の類は撒くことがありません。おそらくお隣のいちじくの葉っぱにつく青虫も我が家の青虫パトロール隊の点検が入って活躍したことでしょう。
 今年のアシナガバチは単なる居候ではなく、彼らの働きぶりにはお礼を言いたい気分になり、実際そのように小さく声をかけていました。

 7月末、ひまわりの花程の大きさに広がった巣は活気溢れて大盛況です。
団子の食材となる青虫も大きく育ったので、巣に運び込む団子も大粒となり、重そうにふらふらと不安定に飛ぶので、巣に停まる寸前に風に流されたりしています。それはもう大変な仕事なようで「よいっしょー!」と掛け声が聞こえてきそうです。
 そんな昼間はあまりにも暑いので、瓢箪と菜園に細かいシャワー状の蛇口から水を撒きますが、その時何匹かは必ず水浴びに飛んできて、小さな虹をくぐる姿はあまりにも愛くるしいものでした。労働の合間の息抜きでしょうか、実に幸せな光景です。

 8月はお盆に向けて、始終ラジオからは終戦特番などが流れてくるので、不穏なB29爆撃機の重低音など一度も聞いたことがないはずなのに、その不気味さは想像できたりするものです。庭の周りでも不気味な重低音の羽音が響き始めます。音の主はヒメスズメバチで、近所の林から偵察飛行をしてくるようなのです。
 9日晴れのち曇りの昼前。ラジオでは長崎の原爆式典のことを伝えているのが耳に入ります。
 私がいつもの作業部屋の軒先で作業をしていると今日も庭から重低音が聞こえています。妙に近づいてきたなと気になりましたが作業中の手は止められません。ピトッと左手親指の爪に何か触れた感じがし、すぐに重低音は遠ざかりました。何かと親指を見てみると、そこには半透明の薄黄色した蜂の子が乗っかってぴこぴこしています。「あなたもぜひ食べてみてください。」という意味だろうか。途方にくれます。ひとまずヒメスズメバチのお気持ちだけいただき、庭のふかふかの土に寝かしたら10分経たないうちに居なくなりました。東欧系の言葉でメディカルの語源ともなるミョードとかメッドと呼ばれる蜂蜜にも似た、柔らかく栄養豊富な蜂の子は庭の生き物達にとって人気のご馳走のようです。

 お盆最中の11日朝は曇りの、今にも泣き出しそうな空。アシナガバチの巣が騒がしい空気なので見にゆくと、一匹のヒメスズメバチがアシナガバチの巣を歩き回り大暴れしています。調べによれば、ヒメスズメバチはアシナガバチの蜂の子しか捕食しないという大変偏った食性を持っているらしいのです。

 カチカチと顎を鳴らしながら重い羽音を立ててアシナガバチを威嚇し、追い払っている姿にはもう誰も太刀打ちできません。アシナガバチ皆が見守る中、ついに蜂の子を引きずり出して噛み付きはじめました。その担当の働き蜂がたまらず抵抗しに行きますが、軽くいなされます。するともう抵抗せずに引き下がってしまい、アシナガバチ達はその惨劇の始終を目撃させられることなります。蜂の子は中身を吸い取られ、お腹いっぱいになったヒメスズメバチは飛び立ち、ほっと安堵の空気が流れますが、その30分後にはまた戻り同じ光景が繰り返されます。

 13日昼、さらに周囲に広がったアシナガバチが見守る中、巣には二匹の蜂が歩き回っています。一匹はヒメスズメバチ。もう一匹はアシナガバチの女王蜂です。久々に見た姿は一目でそれとわかる堂々とした風格があります。巣上では何がおこなわれるのか、アシナガバチ達は巣を凝視しており、大変緊迫感に満ちています。
 しばらく睨み合いが続く緊迫の時。たまらずヒメスズメバチが先に蜂の子を漁り出すと、それを見届けた女王蜂もスッと巣穴から白いさなぎを引っ張り出し、ヒメスズメバチと並んで我が子を食べ始めました。

 その場の空気は凍りつきました。見守る働き蜂は触覚の動きも止めています。

 降伏受諾か、どうしても救えぬ我が子への、無上の愛を示した行動か。せめて栄養として取り込み次の産卵に繋げる覚悟の行動か。いずれにしても威風堂々とした命のやり取りに胸がいっぱいになって、いつまでも目を離すことができませんでした。

 終戦の日。玉音、戦後の混乱、自決、焼け野原、、、どうしても日本の昭和の辛い時代の、様々なイメージが重なってしまいます。
 その後の数日に渡り、執拗に襲いかかってきたヒメスズメバチは、強力な顎を使って巣を徹底的に破壊し、奥に縮まっていたまだ芥子粒くらいの蜂の子まで一匹残らず捕食してゆきました。

 お盆明けを境にその間周辺にいたアシナガバチの一群は分断し、大半は飛び去りました。おそらく働き蜂の中から新女王が決まり、越冬に備えての新天地に向け飛び去ったのだと思います。
 少数グループはその後しばらくは呆然としていましたが、18日現在、徹底的に破壊されたバラックのような巣には女王蜂と数匹の働き蜂が巣をそのまま復興すべく整備を始めました。そしてあまり役に立たなそうな雄蜂はエアコン室外機の物陰から戻りしれっと巣に納まっています。 激しい市街戦が行われたような巣をこれからどのように修復するのか、今後どうなるのか。引き続き見守っていこうと思います。

 庭の宇宙で繰り広げられた物語りは、本で書かれているような生易しいものではない。剥き出しの野生の営みは人の基準で計れる程度の単純明快さは欠片もなく、なんとも不思議な均衡に満ちていることを物語るのだなということを突きつけられた夏の一件でした。

 処暑も近づき、秋はそこまで来ているようです。
 





















 

 *冒頭の写真はフリー画像から拝借しました。

Ambiguous Horizon、記憶の記録

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会場風景
 今日は朝から、季節が大きく晩秋から真冬に入れ替わるような冷たい雨が降り続いています。

 作品が工房に戻ってきたので、それらひとつひとつにお礼をいいながら乾拭きで清めながら納品先に思いを馳せたり、来るべき次の展示に備えたりと手入れをして箱に納めていました。
オープニングで演奏してくださった古楽器奏者の立川叔男さんの録音を聴きながらの作業は、妙に儀式めいた感傷的な気持ちにさせられてしまいます。感動というと陳腐ですが、そのような心の動きも含め、今までとこれからの色々な思いが浮かんでは消える。そのような一日です。
 今回の展覧会を振り返れば、私の作家活動の転機となる経験になったような気がしています。実はそれ、企画中から予感していたことでもあるのです。

 手を動かしながら、今度は、ふととある言葉が頭の中によみがえりました。
それは小学校低学年の児童の頃に聞いた記憶だったか、『遠足は玄関の扉を開けて、ただいまを言うまで。』という一節。楽しかった遠足の帰路の記憶と、今回の楽しかった展覧会を成し終えた暖かい気持ちが重なったようです。

オープニング

 オープニングで演奏してくださった古楽器奏者の立川叔男さんは「”人”を時間経過で子供とか大人とかを分けることはあまり意味がないと思うのです。私は過去に関心をもたずに、ただ長い時間を過ごしただけで大人であると思ってしまうような傲慢さをもたないように心がけています。生きてきた時間を、記憶を、大切に積み重ねられる”人”でありたいのです。」と、演奏の合間に語りました。また、このようなことも言っておられます。「自ら目指すべき音楽とは如何なるものかと悩んでいた留学時代、たまたま海岸でさくら貝をそっと耳に当てた時、増幅されて聴こえてきた音に心奪われた。自然界のささやかな音までを拾い、増幅し、奏でるような、そんな貝殻のように音を奏でる音楽家でありたい。」と。

 その、積み重ねられ、忘れ去られることのない記憶を織り込んだ音色が成し得る表現力に触れ、我々が今回なぜ立川叔男さんをお招きしたかったのか、実は我々自身もよくわかっていませんでしたが、その理由が今は私なりに明確になった気がしています。それは何か。
 中村真、梶浦聖子のそれぞれの経験、特に海外留学を経験し大切に重ねた時間そのものを表現した”曖昧な景色”という空間と時間。作家としての自分が持つ情熱が発するわずかな波動は、立川さんの演奏というさくら貝の殻を通すことで増幅され、実は私自身で自分の熱量を再確認したかったということか。と。

 私自身はなかなか、曖昧な景色という展覧会とは何だったかを言葉にできぬままにいると、共にこの展覧会を作り上げたた梶浦聖子さんが先に、軽妙で素敵な言葉にしてくださっていました。展覧会で作品をご覧になった方は何となく感じていただいているかもしれませんが、いろいろな要素から取捨選択して練度を上げてゆく私の(仕事の?)性格とは対照的に、梶浦さんは直感的な表現に類い稀な能力を発揮されますが、言葉も言い得て妙なりです。
 まったくもって光陰矢の如し…のくだりは見事だとおもいました。
http://monasuky.blog.shinobi.jp/さんにんいじょうごと/またひとつ展覧会が思ひ出になりました

 さて、昨晩までは克明に振り返ることが出来た展覧会の記憶。その充足した記憶をしばし思い返しては楽しんでいた余韻も、今日の窓を映す、雨に煙る景色のように、輪郭がすこしずつ曖昧になってきたようです。
 それは今回の二人展の記憶を、胸に仕舞う時を迎えたということのようです。私にとっての、楽しかった遠足の帰路の記憶のように。

Ambiguous Horizon 〜曖昧な景色〜 ここではない、何処かへ。


ホライズン

 今後も表現活動を続けるかぎり、長い旅のように道程は続きます。
帰国して6年目、ゼロからの再スタートは紆余曲折ありながらも、ようやく最近になってありがたいことに展覧会が立て続けに参加できるようになってきましたが、決して傲慢さをもたないように、経験を大切に積み重ねられる私でいられるようにと心がけて参ります。
 最後になりましたが、足をお運びくださった皆様、事情あってご参加叶わずとも気に掛けてくださった皆様。どうもありがとうございました。

*お世話になりました、ギャラリー工+with
http://gallerykou.exblog.jp/20395460/

*おいしいソムサをありがとう、MAYRAMこと香織さん
http://mayram.shop-pro.jp/


平成26年11月26日 雨の日に 

中村 真  拝

うたかたの燕子花

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日暮風景2

 たぶん、最後になるであろう、この土地の燕子花が咲き誇っています。
畑と路の境界に、土の流失を止める為に植えられた名残。
 今、消費増税前の駆け込みだろうか、土地の所有が変わって宅地造成真っ盛り。毎日重機が唸っています。地鎮祭をしてからというもの、土地をならして、家がカタチになる速度は、私が制作する作品よりずっと速くて驚きます。

日暮風景1

 今の工房に住みはじめた頃は手入れをされていた緑の畑でしたが、いつしか地主は耕すことをやめ、たまに現れては草や花々に狂ったように枯れ葉剤を撒き散らすような枯れ色の空き地になりました。
 それでもまた、うっすらとぺんぺんと草が生えて落ち着く頃には、朝はどら猫が気ままに過ごし、午後は子供が駆け抜け、夕方はこうもりが舞うといった、日常が繰り返されていました。そんな工房からの日常の光景は、遠くないうちに記憶の世界だけになるのだろう。


日暮航空写真2

日暮航空写真1


 私の住む土地の変遷を辿りたくなりました。
 国土地理院のホームページから検索すると工房周辺の航空写真を見ることが出来ます。上は昭和30年くらい。下は昭和50年くらい。二枚の画像を見比べると、工房の前の宅地造成など、庭いじりの範疇と言えそうです。高度経済成長の土地の改造は革命とも言い換えることができそうな規模であり、そのスケールに驚愕します。
 昭和30年頃、工房は小高いこんもりした林だったようです。そして、谷すじの田んぼに沿ってうねうねと通う道沿いには、最近でもこどもの日に巨大こいのぼりを掲げる、近所の大きい屋敷がすでにあるようです。

 NHKラジオを作業中に聞くことが多く、聴取者の対象年齢が高いことも反映しているのか、投稿お便りでも、昭和の昔を懐かしむ声が多いです。私もついつい見慣れた光景が変わりゆくのは寂しい喪失と不安の気持ちになったりするものですが、だからといって嘆いたり固執することはしない方がいいと思います。変わっていくことは世の常。
 しかし世の常はさておき、素敵な日常の光景は頭に焼き付ける価値があるのかもしれません。
 いつかまた「今年初めての夏日です。」とラジオが伝える頃、私は、燕子花が見える工房の記憶の断片を引っ張りだしてこれたらいいだろうな、と思うのだ。

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